親や周囲の思い込みで◯◯障害(?)を助長している可能性はないですか?

「うちの子は◯◯が苦手なので△△障害ではないかと思うんです。」なんてことを仰ったことはないでしょうか? 私はしょっちゅうです。でも、ちょっと立ち止まって、冷静に考えてみると、その苦手は、ちょっと練習不足なだけだったり、周りが苦手を強調するあまり、本人もそう思い込んでいたり、といったことがあるのではないか? そう気付かされるエピソードがあったので、お話してみたいと思います。
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本を読まないはずの子が難しい本を読みふけって質問してきた!

昨日、ある著名な教育者の方(H先生、とお呼びしておきます)とお話させて頂ける貴重な機会がありました。
学校に行きたがらないこと、読み書きが苦手なこと、
などをご説明して、ご相談させて頂いていました。

その先生は、私たちの話を少し聴いて下さったあとで、
おもむろに本棚に向かい、
一冊の本を取り出してまいんに渡して下さいました。

算数と数学について、おもしろく書かれた絵本でした。
絵本ですが、結構字が多くて、漢字もいっぱいで、
ふりがなの無い漢字もありました。

先生は、
「まいんちゃん、これ見ながら待っててね」
と仰って、
私とのお話を続けて下さいました。

しばらく経って、ふとまいんを見ると、
無心にその絵本を読みふけっていました。

「あれ??」

「うちの子は本を読まないんじゃなかったっけ?!」

ちょっとびっくりしましたが、
絵が綺麗だから絵を見てるのかな?
とまた先生とのお話に戻りました。

さらに20分くらいたって、
こんどはまいんが、先生のところに絵本を持っていき、

「無量大数」

について質問をはじめました。
無量大数、って、漢字で呼び名が付けられている数の単位で一番大きなもので、
1無量大数は1☓10の68乗、つまり、

100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

のことだそうです。

ちゃんと、中身を読んでないと、質問できないと思います。
なので、あの、結構字の多い、漢字もいっぱいの絵本を、
読んでいたんですね。。

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そういえば、まいんは毎日お手紙をたくさんくれる幼稚園児でした。。

まいんが幼稚園や小学校に上がったばかりのころは、
それこそ一日に何通も、私にお手紙を書いてくれていました。
パパとママとまいんとで、交換日記も書いていました。
書道で賞を頂いたこともありました。

それなのに、いつからか、
まいんはさっぱり文字を書こうとしなくなりました。

私がまいんの登校のことで悩み始めて、
まいんもそれがよく分かるようになった頃と、
思い返せば時期がとてもかぶっていると思いました。

私が、まいんのことを
「◯◯障害なんじゃ?」
などと、様々な角度で分析しはじめてから、
まいんは無言のプレッシャーを感じるようになり、
読んだり書いたりすることをやめてしまったのではないか、と思えてきました。。

学校に行けない理由を一生懸命探していませんか?

H先生は、

「学校に行きたくない子が増えているのは、
学校という仕組みの構造的な限界によるもので、
子どもに問題があると捉える必要はない。」

と仰っておられました。

「うちの子は読み書きが苦手で。。」
と何度も言う私に、
さりげなく、まいんに障害がある訳ではないことを、
示してくださったのではないかと思います。

今まで色々なところにご相談に伺ってきました。
学校に行けない、と聞いただけで、
「◯◯障害か?」
「それとも△△障害か?」
と、
診断名を付けて分類しようとされる専門家の方が、
とても多いと感じてきました。

そういうことに違和感を覚えつつ、
私自身も結局、
今まで、まいんが学校に行けない理由を一生懸命探して、

「そうだ! うちの子は◯◯障害なんだ!!」

と、勝手に思い込み、
自分を正当化するために使っていたんだ!!
と、はたと思い至りました。

◯◯障害、と名付ける前に、まっさらな気持ちで子どもを見てみると。。

サドベリー・バレー校のダニエル・グリーンバーグさんは、
「世界一素敵な学校」
の63~68ページで、リーディング(読み)について書いておられます。
全部ご紹介したいくらいの内容ですので、機会があればぜひ読んで頂きたいですが、
一部抜粋します。

かれこれ二十年近く、サドベリー・バレー校では、いわゆる「読書障害(ディスクレシア)」なるケースが一件も出ていません。(中略)学会では「読書障害」の原因、その発現形態、そしてそもそも「読書障害」なるものが機能障害として実存するものなのか、をめぐって激しい議論が繰り返されて来ました。(中略)ただひとつ事実としていえるのは、そんなもの、このサドベリー・バレー校ではこれまで一度もお目にかかっていない、ということです。
ダニエル・グリーンバーグ著 大沼安史 訳「世界一素敵な学校」63ページより抜粋)

この本には、グリーンバーグさんのお嬢さんの例も出てきます。
彼女は、8歳まで読まず、
9歳を過ぎて急に、「読みたい。読もう」と心に決め、
9歳6か月で完璧に読めるようになったそうです。

サドベリー・バレー校には、
稀に12歳になっても読み書きが出来ない子もいるそうですが、
いつの間にか読み書き出来るようになり、
覚えるのが早かった子に追いついてしまうそうです。

スピーキング(話し)を例に考えてみると、読み書きについても参考になります。

機能的な障害があって話せない子は、ごく稀です。どうやって話せるようになるかは未知数なのですが、圧倒的多数の子どもたちは、とにかく自分で話せるようになるのです。
(上記67ページより抜粋)

「読書障害」ならぬ「スピーキング障害」などというものは存在せず、
大多数の子どもは自然に話せるようになりますし、
読み書きについても同じだと言うのです。

世の中には、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症スペクトラム障害(ASD)、などなど、様々な障害の分類があり、
こうした障害が学校に行けない理由であると、
まことしやかに言われていますし、
実際そういう面もあるのだろうとは思いますが、

分類することによって、
その子どもを、一人の人間、として見る温かさが、
どこかで抜け落ちてしまい、

その冷徹な「分類する眼差し」が、
子どもを傷つけて、さらに追い込んでいる、
ということはないだろうか?

今一度自分を戒めたい、と思いました。

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