今日は、新しい時代に入ることが大切だと思う理由について、書いてみたいと思います。
唐突に歴史の話で恐縮ですが💦
17世紀のオランダでは 、 チューリップの球根が投機の対象となり、
球根一個が年収の10倍以上の価値を持つこともあったと聞きました(チューリップ狂時代、チューリップ・バブルとも言うらしい。。)。
私は「なんて馬鹿馬鹿しいこと! 信じられな ー い!!」と思いましたが、
今、私たちがどっぷり嵌まっている価値観の中で当たり前と思っていることも、
いつか時代の流れの彼方では、
「信じられなー い!」
と言われてしまうようなことがたくさんあるのだろうと思います。
未来の人は、子どもたちに歴史を伝えるとき、
「2 0世紀後半と21世紀初頭の日本では、入学した大学のランクが人を測る物差しとなり、
18 歳から 22 歳までの 4 年間を過ごした場所によって、一生ランク分けされていたんだって。」
と伝えるのでしょうか?
子どもたちはきっと、
「信じられなーい!!」
と言うことでしょう。
「2 1 世紀初頭 までの子どもたちは、朝8時半か ら夕方4時くらいまで、毎日小さな教室に
40 人も詰め込まれて、一人の先生の話を静かに聞いてたんだって。」
「その子たちは、50 分ごとにベルが鳴るたびに、やること を全員で一斉に変えてたんだって。」
「『みんなで同じことをする』訓練を十何年続けた上で、社会に出たら『個性』を求められてたんだって。」
「そういう学校に行くのが嫌になった子は、『不登校生』って呼ばれて、進路が狭められたり、周りの人たちから非難されたりして、 家に閉じこもったり、自殺する子もたくさんいたんだって。」
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「信じられない」ことがらは、まだまだ続きます。。
「人がぎゅうぎゅうに詰まって1時間以上も立ったままの電車に毎日2回乗る『通勤』」
とか、
「雨風をしのいで日々を暮らす家を買うために年収の何倍ものお金を35年もかかって払う『住宅ローン』」
とか、
「空き家はいっぱいあるのに住む家の無い人が公園や地下道に暮らす『ホームレス』」
とか、
「地球の反対側では食べられなくて死ぬ人が続出しているのに余った食べ物を捨てまくる『食品ロス』」
とか、
挙げだしたら、心の痛くなるようなことが、ほんとうに、たくさんある世の中です。。。
未来がいっぱいある、五体満足な子どもたちが、次から次から自殺するなんて、
正気の世の中ではありません。
家がたくさん余っているのに、寒さをしのぐ家も無い人がいて、
捨てるほど食べ物があるのに、お腹を空かせて死んでいく人たちがいます。
そもそも、
生活を楽にするために生み出された数々のシステムや機械たち、
例えば、水道・電気・ガスなどのインフラや、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、給湯器、、、
こうしたものたちのお陰で、私たちに自由時間が生み出されるはずではなかったのか??
何故私たちは私たちはこんなに毎日忙しくて、周りの人達を顧みる余裕を失ってしまったのか??
生まれたはずの「余裕の時間」は、一体どこに行ってしまったのか???
好きなこと、楽しいことに没頭したり、
子どもたちともっと一緒に遊んだり、学んだり、
心痛んでいる人の話をじっくり聴いたり、
辛い状況にある人を助けに行ったり、する時間が、生み出されたはずではなかったのか???
私事ですが、わが家では先日、給湯器が壊れてしまいました。
その日、私は、無謀にも、「試しにポットでお風呂を沸かしてみよう!」と思い立ち、
電気湯沸かしポットとガスコンロのやかんで何度もお湯を沸かしてお風呂まで運び始めました。
何度も何度も、何度も何度も、お湯を沸かしてはお風呂に運びました。
お風呂に入れるような温度と量のお湯が溜まる頃には、始めてから4時間以上経っていました。
そして、本当に本当に、心の底から、「給湯器」と「水道」の有難味を知ることになりました。
昔の人達は、井戸から水を汲み、お風呂にためて、薪を集めて、それを割って、お湯を沸かして、
やっとお風呂に入っていたのだと、知識ではなく体験から、深く悟りました。
スイッチを入れて蛇口を捻るだけでお風呂に入れてしまう、というのは、
ものすごい「時短」であることが、身に染みて良くわかりました。
料理も、洗濯も、洋服を着るための手間も、いろいろな道具を作る時間も、何もかも、
現代は、ものすごく「時短化」されているのです。
昔の人達は、こうした「日々の生活を送ること」のために、
毎日ものすごく長い時間をかけてきたのです。
現代の便利な生活で生み出された「長い長い時間」は、
今一体どこに行ってしまったのでしょうか??
なぜ私たちはこんなに毎日忙しいのでしょう??
そもそも、自分を「満たす」時間が持てず、
子どもたちを温かい目線で「待つ」時間が持てず、
人の話を話をゆっくり「聴く」時間が持てず、
互いに「助け合う」時間が持てていません。
昔、私は、都内に毎日通勤していたのですが、
地下道にはホームレスの人たちがたくさんいました。
寒い冬の日も、薄い段ボールとブルーシートで作った小さな空間で、
小さく丸まっている人達がたくさんいました。
それが全く見えないかのように、
綺麗なスーツやワンピースを着た人たちが、
真っすぐ前を見て、大股で、大挙して一方向に進んでいく光景が、
今も目に焼き付いています。
私もその大群の中の一人だった訳ですが。。。
どうしてこんな風になってしまったのでしょう。
もっともっと、子どもたちにも、大人たちにも、生き物たちにも、
自然にも、地球そのものにも、
優しいあり方が、きっとあるはずです。
未来をつくるのは子どもたちです。
その子どもたちが、伸び伸びとそれぞれの個性を伸ばせる環境を整えること、
それがいつか、
「みんなに優しい世界」
をつくる土台になっていくんじゃないかと思います。
これまでの「常識」をいったん脇に置いて、
あらためて身の回りを見回してみる時期が来ていると思います。